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ボスニア紛争後のバニャルカ空港で見た光景

◇評価 15ポイント
◇閲覧回数 10,736
◇登録日
2007年12月9日
Seaview
Seaview
道場主

Lv.48

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Seaviewは2000年の夏に、初めてボスニア・ヘルツェゴヴィナを訪ねました。
東京と岡山をメイン会場に開かれた国際会議に出席した時に知り合った
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ代表でセルビア人の友人の招待によるものです。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナへ観光で行く人はほとんどいません。
その上、訪問する日本人も通常はサラエボ空港から入国します。
しかし、Seaviewはセルビア人の友人が住むバニャルカに行くため、
当時ウィーンから運航されていたチロリアン航空を日本から予約し、
バニャルカ空港から入国することにしました。

ウィーンの空港のバニャルカ行きのゲート前で私の横に年配の女性がいました。
日本人の私が1人でいたからか、何か話したそうな気配でした。
スウェーデンのパスポートを持っていたので、
英語で話しかけてみましたが、通じませんでした。

チロリアン航空のプロペラ機・ボンバルディアDHC-8-300(写真左)で
バニャルカ空港に到着し、降機後は地面を歩いて
小さなターミナル(写真右)に向かいました。
入国審査は、日本人は3ヶ月までビザ不要なので簡単に通過。
しかし、税関審査は大きな荷物をもったセルビア人が並んでいて、
厳しくチェックされていました。

税関審査の先に、出迎えの人達の姿が見えました。
Seaviewの友人もすぐに見つかりました。
そして、その横に小さな男の子が笑顔で立っていました。
それを見た、スウェーデンのパスポートを持った
年配の女性は突然泣き出しました。
私は「平和がもどったんだよ。もう大丈夫なんだよ。」
と英語でなぐさめてあげました。

異なる民族間の対立によって泥沼化したボスニア紛争。
民族のプライドを守ろうとしたことが、
身体的にも精神的にも経済的にも大きな傷跡を残しました。
そして難民として他の国に避難した人も少なくありませんでした。

その後NATO主導で停戦となり、状況が落ち着いたので
難民が帰還を始めていました。
その女性も難民として逃げ、滞在先での居住権を獲得したものの、
帰国できることになったのでしょう。
望郷への想いと孫と思われる子供が無事だったのを見て、
涙があふれてきたのでしょう。

旅をする人には、それぞれ理由があります。
それは決して楽しい目的だけでないことを知ってください。
ですから、どんな人に対しても、
思いやりをもって接してあげてください。
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