2007年秋、奈良県橿原市の藤原宮跡(694〜710年)で出土した地鎮具に
納められていた最古の貨幣「富本銭(ふほんせん)」9枚の字体や成分が、
7世紀後半に鋳造工房があった飛鳥池遺跡(同県明日香村)で出土したものと
異なる新種とわかった。
708年に和同開珎(わどうかいちん)が発行されるまでに、
富本銭の鋳造時期が少なくとも2回あったことになり、
わが国の貨幣の始まりに再検討を迫る発見となる。
今回の富本銭は、藤原遷都の地鎮に使われたと見られる須恵器に
詰まっていた。取り出して調べたところ、直径約2.4cm、厚さ約2.6mm、
重さ約6.7gで、飛鳥池遺跡出土と直径は同じだが、
平均重量は約1.5倍。表面に鋳出された字体がウ冠の「富」でなく、
ワ冠で、行書風になっていた。七曜を表す七つの点も大きい。
日本書紀は694年3月、「大宅朝臣麻呂(おおやけのあそんまろ)らを以て
鋳銭司(じゅせんし)(造幣局)に拝(め)す」と記述。
続日本紀も699年12月「始めて鋳銭司を置く」と伝える。
日本書紀の683年に「今より以後、必ず銅銭を用いよ」と記されたのが
飛鳥池遺跡出土の富本銭とみられている。
694年の遷都を機に、富本銭の鋳造場所が飛鳥池遺跡から
藤原宮内の鋳銭司へと移った可能性が浮上してきた。
中世の模造品とされる八幡山城跡(和歌山県白浜町、16世紀前半)の富本銭が
今回と同じデザインで、今後年代が見直される可能性がある。
〈3月18日 毎日新聞より〉
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