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鈴鹿には「神」がいる。

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2010年10月7日
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鈴鹿には「神」がいる。

 「鈴鹿には“レースの神”がいるのでは」、そんな話である。

 時は遡って2006年。チャンピオンシップはM.シューマッハ(フェラーリ)とF.アロンソ(ルノー)で争われていた。破竹の勢いで勝ち進むアロンソに対し、食い下がるシューマッハ。そんなとき、第11戦フランスGP終了後にFIAが下したのが、「マスダンパーの禁止」だった。

 マスダンパーとは?

 筒状の物体の上におもりをつけ、その下にスプリングを配置し、おもりの反力で車の振動を打ち消すシステムだ。

 このマスダンパーをルノーは2005年より開発していた。彼らはこのシステムをマシンのフロントとリアに組み込んでおり、路面からの入力をマスダンパーで打ち消すことでマシンの挙動を安定させていたという。

 FIAはこのマスダンパーが空力稼働物であるという点で禁止。ペナルティーを恐れたルノーは、マスダンパーを外した状態で次戦ドイツGPに挑む。だがルノーのマシンは、マスダンパーありきでシャーシー開発をされてきたため、非マスダンパーだとパフォーマンスが大きくダウンしてしまった。

 その間隙をついてフェラーリが猛追するのだが、どうにも釈然としない。

開幕前からマスダンパーの存在は知れ渡っていたし、なんでこのタイミングで(しかもフェラーリが追いかけようか!というタイミングで)FIAが禁止を通達してきた点が不自然だったからだ。

 ひとつ言われたことが、「ルノーの独走状態だとシーズンがつまらないから、歯止めをかけようという動き」そして「今季で引退する可能性の高いシューマッハを勝たせて、最後の花道を作ろうという動き」である。つまり一連の行動は“場を盛り上げるための演出”ではないか?ということだ。

 真偽は分からない。ただ、マスダンパー禁止によりルノーはポイントでかなり詰め寄られる。またシューマッハはウワサ通りモンツァで“引退宣言”し、その聖地でアロンソに大きく詰め寄ることになる。そして次戦中国GPでシューマッハはついにアロンソにおいつき、勝ち星でアロンソを上回った。

だが、どうにも釈然としない。

 「本当にこのままでいいの?」

 なんだか、そんな不透明な印象を残したまま、F1は鈴鹿に向かうこととなる。

 一方鈴鹿では、ある問題がおきていた。

 鈴鹿のF1開催の契約は2006年まで。それを見越した富士スピードウエイが、FOAと交渉の上2007年よりF1開催にこぎつく。そのとき5年契約と発表されたため、鈴鹿からF1がなくなることを悲しむ声に包まれた(のちに2008年以降は富士と鈴鹿の交互開催に変更)。1987年よりF1を開催し、ファンから愛されていた鈴鹿からF1がなくなる。悲しみというか怒りというか、そんな悶悶とした感情がファンの間で渦巻いていた。

 大げさではなく本当の話である。

 日本GP当日、ボクも当然鈴鹿に向かったのだが、驚いたのは人の多さだった。現在鈴鹿サーキットはメインゲートとグランドスタンドの間がかなり広くなったが、2006年当時は現在よりかなり狭かった。狭いとはいうものの、そこは人の渦渦渦。だから一旦メインゲートを出ると、入るのに相当てこずる有様だった。その熱気というか狂気というか、あの異様な雰囲気は今でも忘れることができない。ちなみに決勝日の入場者数は161千人。3日間通しで361千人だったらしい。

 これだけのファンが鈴鹿の最後を惜しみ、集い、レースを観戦している。ボクは宗教にも似た祈るような雰囲気のサーキットの中で決勝を待っていた。


 さて、コースの内外も異様な雰囲気のまま決勝はスタート。

 予選ではシューマッハが130秒を切るスーパーラップを樹立。一方アロンソは勢いが戻らぬまま予選5位。スタート時には明らかに明暗が分かれた。ここでシューマッハが勝てば今季のチャンピオンが決まる。レースも中盤を過ぎてシューマッハ1位、アロンソ2位。このまま終わるかと思いきや、なんとシューマッハのマシンのエンジンが37周目でブロー。アロンソはそのままトップでゴール。チャンピオンシップで大きなマージンを築くこととなる(結局アロンソがチャンピオン)。

 さて、そのアロンソの走りよりも神がかり的だったのがフェラーリのリタイヤだ。

フェラーリがエンジントラブルでリタイヤするのは2001年アメリカGP以来6年ぶり。またシューマッハ自身がエンジントラブルでリタイヤするのは、2000年フランスGP以来7年ぶりとなる。リタイヤの瞬間、誰もが唖然としたが当然である。

 上手く言葉がでないが、人が極度に多数集う所は何か大きなものが動くような気がする。それを“気”とも“オーラ”とも、また“神”とも例えられるのかもしれない。

 2006年の鈴鹿も同じで、あのとき鈴鹿には間違いなく“レースの神様”が来たのだと思う。

 神のジャッジがフェラーリのリタイヤを呼んだとしたら、集ったファンに実に公平な判断を下したのだと思う。

 そして神は別れを惜しんだファンのに鈴鹿を返した。

 実に公平な判断だと思う。神は鈴鹿にいるのだ。
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