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お城シリーズ6 熊本城(後編)

◇評価 10ポイント
◇閲覧回数 6,284
◇登録日
2010年6月11日

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熊本城の後編です。今回はお城の直近くにある、本丸御殿の紹介です。
ちょうど復元が終わったところで、中はピカピカになっていました。復元したので当然
といえば当然ですが、ここまで綺麗に仕上げなくてもって思ったりします。


定番ではありますが・・銀杏城についての解説です。

「銀杏城」という名の由来になっているのは、城内に植えられた銀杏(いちょう)の木である。
これは、篭城戦になった時の食料確保のため、築城時に加藤清正がこの銀杏を植えたという。
朝鮮出兵での蔚山城籠城戦で食料不足に苦しんだ経験を生かしているといわれているが、
この銀杏の大木は雄木なので実はならず、城内を知らない者が後世創った俗説と考えられる
。また、清正は「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時にこの城で兵乱が起こるだろう。」
とつぶやいたという言い伝えがある。明治時代、清正が植えた銀杏の木は天守とほぼ同じ高さ
になっていたが、明治10年に西南戦争が起こり、熊本の城下が戦場となった。
また、同様に篭城時の食料の確保に関して、清正は城内の建物の土壁に干瓢(かんぴょう)を
塗篭め、畳床には食用になる里芋茎を用いて備えたという

本丸御殿再建に伴う発掘調査で西南戦争の火災で焼けた様々な出土品が出たが、同時に焼失した
とされた兵糧米500石分の痕跡が見つからなかった。通常、大量の米が焼失すると中心部は炭化米
として残るが大量の出土品の中から炭化米はついに出なかった。また、今まで城域すべてがこの
火災で焼失されたと伝えられていたが実際の罹災範囲は上記、概要にあるように現在の本丸部分
と東竹之丸の櫓門1つだけに限定されたものであった。この火災原因には様々な説があり今までは
、鎮台の自焼説は篭城兵糧を失った点に問題があると指摘されていた。


写真1
canon5Dmark2 17mm-35mm F2.8L 1/20秒 ISO1600 F2.8  17mm焦点 EV+-0
ちょっと露出がおかしな感じになってしまいましたが、こんな色の梁でした。
ちょっと感度を上げすぎたのかもしれません。



写真2
canon5Dmark2 17mm-35mm F2.8L 1/30秒 ISO500 F2.8 23mm焦点 EV+-0
とても豪華な感じです。今でもこんな家はないよな〜。って思ったりします。
復元したとはいえ、当時はどうだったのかな?って思います。



写真3
canon5Dmark2 17mm-35mm F2.8L 1/60秒 ISO400 F2.8 25mm焦点 EV+-0
眼下に広がる・・泥沼。天守閣から見る図ですが、本当に雨が強くなってき
ました。天守閣で小1時間雨宿り。天守閣に長い時間いると、不思議な気分になります。


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