信長は、自らを苦しめた浅井久政、長政、朝倉義景のドクロで
金の杯(さかずき)を作ったという逸話は有名であるが、
どうもこれは後世に出来た作り話のようである。
では実際はどうだったのか。
宴の席で、3人の首が出てきたことは、間違いないようであるが、
杯にはなっていない。
首を漆で固めて金泥などで彩色し、酒の肴として扱われたようである。
現代に生きる我々にとっては、引いてしまう話だが、
当時はどうだったのか?
武士達は戦をするたびに首をとってくるわけだし、
大将首なら化粧さえも施す。
気色悪いなどという感覚はなかったのかもしれない。
むしろ、自らと家臣達を死地に陥らせた浅井、朝倉の首を、
皆の前でさらし者にしてやろうではないかという
信長の怒りと憎しみの表現だったのかもしれない。