●所属チーム遍歴
日産→横浜M→J磐田→浦和R
1990年代の日本サッカー界を代表するディフェンダー
冷静な判断に基づいた的確な守備と、絶妙のタイミングで仕掛ける攻撃参加が
特色でした 洞察力、前線への正確なフィード、1対1の局面での
フィジカルコンタクトの強さと、全てを兼ね備えた守備は元韓国代表の
洪明甫と共に「アジアの壁」と称されました
長い現役生活の間に日本サッカーは急激な変化を遂げたが、その間の戦術やプレーの変化にも対応し、日本代表出場試合数は122と、歴代1位を誇ります
2002年に現役引退
滋賀県立守山高等学校からサッカーの名門筑波大学へ進学
高校時代はフォワードの選手であったが、筑波大学1年時に当時の
ユース代表監督の勧めでディフェンダーに転向
高校時代の経験が、後の「日本のリベロ」の下地を作ったといわれています
大学2年時には初めて日本代表に選出されました