天龍寺3回目です。
■天龍寺の歴史(ウィキより)
天龍寺は京都五山の第一として栄え、寺域は約950万平方メートル、現在の嵐電帷子ノ辻駅(かたびらのつじえき)あたりにまで及ぶ広大なもので、子院150か寺を数えたという。しかし、その後のたびたびの火災により、創建当時の建物はことごとく失われた。中世には延文3年(1358年)、貞治6年(1367年)、応安6年(1373年)、康暦2年(1380年)、文安4年(1447年)、応仁元年(1467年)と、6回も火災に遭っている。応仁の乱による焼失・再建後、しばらくは安泰であったが、江戸時代の文化12年(1815年)にも焼失、さらに幕末の元治元年(1864年)、蛤御門の変(禁門の変)で大打撃を受け、現存伽藍の大部分は明治時代後半以降のものである。なお、方丈の西側にある夢窓疎石作の庭園(特別名勝・史跡)にわずかに当初の面影がうかがえる。
方丈の北側には、宮内庁管理の亀山天皇陵と後嵯峨天皇陵がある。
写真23
canon EOS7D 24-70mmF2.8LUSM 1/60 F5.6 ISO100 EV-0.3
各所に庭園があり、目を奪われます。慢性的に観光客が多く混雑しており、ゆっくりカメラを向けることが難しいです。
写真24
canon EOS7D 24-70mmF2.8LUSM 1/125 F5.6 ISO100 EV-0.3
御一読下さい。
写真25
canon EOS7D 24-70mmF2.8LUSM 1/40 F2.8 ISO3200 EV+-0
撮影可能かどうかはわかりませんが・・
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